
前回は、 「男女平等」と、頭ではわかっていても、女性が、男尊女卑的なメンタリティーを抱いてしまう理由の一つは、「女性の多くがマゾだから」ではないか、というお話をしました。
では、女性の多くがマゾだとして、それは女性の性が本来持っている性質なのでしょうか? つまり、人間を「ヒト」という動物として見た場合、「ヒトのメス」の生得的な性質としてマゾなのでしょうか?
動物の中には、オスが支配的・メスが従属的に振る舞うことによって、繁殖が上手くいくものがあります(逆に、メスが支配的、オスが従属的な種も、もちろんあります)。そうした、動物学的な視点から見て、「人間の女」はマゾ、「人間の男」はサドなのでしょうか?
それとも、女性がM,男性がSなのは、「男尊女卑な社会」で生活するうちに身についた、社会的・文化的な産物なのでしょうか? つまり、本来、女性Mではないけれども、「男尊女卑な社会」の文化に染められて、Mになってしまったのでしょうか?
戦後の日本を例に考えますと、愚仙人、どうもその両方ではないかと思われてなりません。
戦前の日本は、男尊女卑の社会でした。 そこでは、「女性は男性に従うもの」とされていました。 そういう社会では、女性がマゾヒストであることは、社会の規範によく合致します。
一方、戦後は、男女が平等となりました。
もちろん、法的に平等になっても、すぐに社会的・文化的に平等にはなりませんでした。 しかし、ウーマンリブをはじめ、様々な社会運動の結果もあって、終戦直後とは比べ物にならないくらい、男尊女卑ではない社会になりました。
『男尊女子』の著者、酒井順子さんによると、昭和の終わった年、1989年に「セクハラ」が新語・流行語大賞を受賞したことにも表れているように、 "昭和と平成では、女性差別に対する感覚が大きく変化していると言っていいでしょう" とのことです。
もし、女性の性のあり方が、社会のあり方だけに左右されるものであるならば、こうした社会のあり方を反映して、平成時代には、女性のマゾヒストの割合も、戦前や昭和時代に比べると、ずっと少なくなっているはずでございます。
ところが、2015(平成27)年に至っても、『イイ女はドMが9割』というタイトルの本に表れておりますように、女性のM率は、そう大きく変化したようには見えません。
これは、まだ社会が過渡期だからで、これからますます男女が平等な社会になれば、女性のM率は減少し、その分野でも「男女は平等」になるのでしょうか? まだそういう社会にはなっていませんので、断言はできませんが、愚仙人、どうもそうはならないんじゃないかという気がしてなりません。
そもそも、日本であれ、外国であれ、男尊女卑の社会が長くつづいたのは、男女の肉体的条件の差異などにもとづく、ヒトという動物の本来的な性質を反映してのことではないでしょうか。
もちろん、ヒトは、文化的な存在ですから、その「本来的な性質」を、文化によって正したり歪めたりして生活を営んでおります。 女性と男性は、肉体的には差異があっても、人間として平等の権利を有するということは、現代社会では当然の規範です。
ただ、規範は規範として、文化的要素をはぎ取った、ヒトとしての「本来的な性質」という視点からは、やはり、女性はM的、男性はS的というのが、ヒトが本来持っている性質であると思われてなりません。
でも、そういうことを言うと、じゃあ、S女性やM男性はどうなるのだ、という話に当然なりますわな。 また、それを言うと、レスビアンの女性やホモセクシャルの男性は、どうなるのだ、という話にもなります。
人間の男女としての「本来的な性質」を共有しない人たちは、規範(ノーム)から外れた、アブノーマルな人たちということになります。
かつては、そういう人たちは、軽蔑されたり、時には違法とされたりしていました。 でも、そういう人たちも、人として平等に取り扱おうというのが、昨今の趨勢でございます。もちろん、大変に結構なことだと存じます。
(つづく)
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