
繋ぎを着せられたお馬さん。 さぞかし暑いでしょうね。
目隠しも、完全に機能して、 全く目が見えないようにされ、 馭者さまの手綱さばきだけで方向を定め 走れるよう、調教されたら すごいだろうね。
さて、クラブのお話。
沼さんの『手帖』第23章 「ある派出夫会の設立案」 には、かつてのマゾヒストがどんなに苦労したかを しのばせると、弊サイト「『手帖』の挿画」に記し ました。
ここで、改めてその一節を採録しますと・・・ 「マゾヒストが自分の空想を現実に味わうような機会は、 よほどの幸運に恵まれなければ、訪れるものではない。 卓抜な実行派・黒田史朗氏のように 痴愚者の仮面を被(かぶ)ることで相手の女を安心させて 理想的状況を積極的に作り出すということは、特技なき 一般マゾヒストには企及しがたいところである。 そこで、多くの場合、娼婦にこれを求めるほかない。
西洋の都市にはマゾヒスト相手の 職業的女主人(雇われドミナ)がたくさんいることが、 ドイツ・フランスの文献に見える。
北欧ハンブルクなどは彼女らの黄金境(ドラド)と称され、 各種マゾ類型に応じてそれぞれ専門ドミナがいるくらいである。
(中略)
日本では事情が異なる。
マゾヒストは絶対数も劣勢で、 したがって娼婦のほうも彼らを客とする機会が少なく、 職業的女主人などは発生する余地がなかった。
(中略)
職業的女主人の専門化がない今日、私娼からこれを 見いだすことは、公娼制度下においてサド女性を 発見することに幾層倍する時間と費用とを要するだろう」
(後略)
また、谷崎潤一郎の自伝的小説、「饒太郎」にも、
「西洋のMasochistenはかかる注文に応じるような Prostituteを探し出すのに必ずしも困難を感じないらしい。
維納でも巴里でも伯林でも欧州の著名な大都の夜の巷に 色を鬻ぐ娼婦の間には、 boot-fetichismとかFlagellationとか、 その外さまざまのMasochismに関する悪戯が、 物好きな色恋の一種の形式として 普通に行われているらしく思われる。
之に反して不幸なのは日本のmasochistenである。
東京に生まれて東京に育った饒太郎は、 此の都の暗黒面の隅々までも可なり詳細に通暁して 居る積りであるが、いまだいかなる階級の娼婦の間にも、 Masochismを了解し、若しくは男の要求にまかせて残忍 なる 悪戯を演ぜんとする程の豪胆なる女を見ない」
かつての沼や谷崎が渇望した「職業的女主人」に、 現代の日本では容易に会うことができるのでございます。
現代日本のMasochistenは、そのありがたみを 噛みしめるべきでございましょうな。
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