「沼正三と天野哲夫 ある覆面作家の素顔をめぐって」 「はじめに」への論評のつづきでございます。
10月20日付け近況報告 「沼正三と天野哲夫」批評(1)で
『手帖』に見る沼さんの文章は とてもわかりやすい。 論旨が明快で、 理解がしやすい。
と申しました。 その対極にありますのが、 「はじめに」に書かれております 次の文章でございます。
******************** 沼もまたテクストとして語りうる存在だということを、 沼の正体に関して展開されてきたこれまでの議論を 省みることによって、今後、非常に多面的な文脈を 有する『ヤプー』を語る際に、 沼の正体に関する議論に振りまわされることなく、 『ヤプー』というテクストを純粋に論じていくための 足がかりを提供していきたい。 *********************** 一読して、何が仰りたいのか、さっぱりわからん。
「読書百遍義自ずから見る」と申します。 一読して分からんでも、百読すれば、 愚仙人にも意味がわかるのかもしれません。
でも、百読せな意味が通じない文章って、 いかがなものかと思われます。
沼さんのように、 誰が読んでも明快にわかるような文章を書くには やはり文才というものが不可欠なんでしょう。 そうした文才は望むべくもないとして もっとわかりやすく書く努力を払って欲しいと 思わざるを得ません。
論文って、奇を衒った、勿体つけた書き方よりも 論理の展開が明快である方が重要なんではないでしょうか。 と申しますか、 書いてる本人が、 言わんとする内容をよく解ってないから 分かりやすく書けないんじゃないかな?
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