本日も、昨日につづき、 鈴木真吾氏の論文 「沼正三と天野哲夫 ある覆面作家の素顔をめぐって」 に見られます、 沼正三のマゾヒズムに関する誤謬についての お話でござします。
当該論文では
"天野の場合、倉橋に対する崇拝例に見たよ うに、白人女性にこだわらず、ヘラやアテネ 的な要素を持ち合わせる様々な女性に向けら れている。 これは白人女性に対する無条件降 伏と服従を根底のテーマにしてきた『ヤプー』 や沼のマゾヒズムと、天野のマゾヒズムの間 にある大きな相違点だろう"
"女主人崇拝の点で、沼と天野は 共通点を持っているが、天野には沼を特徴付 ける白人崇拝が欠けている"
との記述がございます。 これを読む限り、
(1)沼正三は白人女性にこだわり、 彼のマゾヒズムは、白人女性以外の ヘラやアテネ的な要素を持ち合わせた女性には 向けられていない。
(2)天野には白人崇拝が書けている
との主張でございます。
しかし、 (1)については、例えば 『ある夢想家の手帖』第3巻 76章_日本のクイーン を読めば明らかなように、 沼は日本の女性であっても、 ヘラやアテネ的要素を持ち合わせた 高貴な女性に対する拝跪願望は 十分に持ち合わせているのでございます。
(2)については、天野の初めての書籍 『女帝ジャックリーンの降臨』 には十分に白人崇拝思想が読み取れます。
もちろん、同書に表されたマゾヒズムが、 生身の人間たる天野哲夫氏のマゾヒズムに 合致したものであるかどうかはわかりません。
プロの書き手である天野氏が 自身の性的嗜好とは関係なく、 時流に合わせて「白人崇拝マゾ」を盛り込んだ作品を 上梓した可能性も十分にあります。 (というか愚仙人はそうじゃないかと思っている)
しかし、書き手の本当の嗜好がどうであれ、 「天野哲夫」の名のもとに著された著作に 表わされている性的嗜好を 「天野哲夫」なる仮想人格の 性的嗜好として読むことこそが、 "「テクストとしての天野哲夫」を読み解く" ことではあるまいか。 |
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