これまで述べたように、 鈴木真吾氏の 「沼正三と天野哲夫 ある覆面作家の素顔をめぐって」は
「沼正三は仮説人格である」という事実を
「沼正三は現実に存在する一個人ではなく 匿名の集団によって構築された仮設人格である」 と飛躍させ、 「不特定多数の匿名者たちによって行われた 手紙のやりとりの中から沼の博学的知識や 『ヤプー』が生まれた」 との「見解」に基づくものであります。
果たして「沼正三」がそういう属性の仮説人格であるなら 『ヤプー』も『手帖』も複数の「匿名者」による 合作ということになります。
しかしながら、そうした独特の「見解」を持つに至った 思考の過程、ないし、論拠となる事実が 何ら示されておりません。
しかも述べられている事実の中には沼や天野に 対する誤った認識に基づくものが散見されます。
つまりは、彼の「見解」は「なんとなくそう思う」 とい「感想」を述べたにすぎず、 およそ「論文」と呼ぶに値する体をなしてない 内容空疎でお粗末な代物なのでございます。
その必然の結果として、当該論文は注目を集めることなく埋もれておりました。
そんなもの、放置しておけばよいのに なんでわざわざ掘り出して、 当「近況報告」でケチョンケチョンに貶したのか。 その動機には、正直なところ 2つの視点からの「私憤」が含まれております。
【私憤_その1】 当該論文が、かように内容空疎でお粗末な代物である にもかかわらず、「学術論文」に分類されるが故に 「沼正三 天野哲夫」をキーワードとする検索で 上位に位置し、 一方、弊サイトでの関連ページは、 さすがにこんなへっぽこ作文よりはずっとマシと 自負しておりますのに、 検索結果においてへっぽこ作文の後塵を拝して おります。 愚仙人には、それが悔しくてならんのです。
【私憤_その2】 著者は、 「『ヤプー』なんてキワモノも見事に論じちゃう 僕ちゃんってスゴイ!」 なんて考えで、当該論文を世に出しました。
なんでそんなことがわかるかというと 彼自身がそんな風に語るのを聞いたからです。
愚仙人には、そのような軽佻浮薄な姿勢で 『ヤプー』や『手帖』や沼正三を語る筆者が 腹立たしくてならんおです。
当該論文を通して、 世人の「沼正三」に対する興味本位の視線を知り、 また、当該論文をして 「沼正三のマゾヒズム」に対する無理解の一例 となし、それを正したかった、 といったことも本音の動機ですが、 上記のような私憤に駆られたこともまた、 本音なのでございます。
おしまい |
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